2011年10月10日月曜日

あなたにとって幸せを感じるときはいつですか?

ちょっと考えてみてください。

宝くじで3億円があたったときですか?

何も考えずに焼肉を好きなだけ食べれるときですか?

一日中ニコニコ動画を見れるときですか?

それとも、金コイキングが釣れたときですか?(笑)



それを踏まえて
今あなたは幸せですか?


次の文章はちょっと昔、中学校一年生が書いた文章です。

私の主張という発表で、「幸せとは何か」という題で

優秀賞をとった発表です。

ちょっと長いかもしれませんが、是非読んでみてください。

もしかしたら、もうすでにどこかで読んだことがあるかも…。



 あなたは、自分が幸せだと思いますか。すぐ「幸せだ。」と答えられる人はいないかもしれません。「禍福はあざなえる縄のごとし」で、すべてにおいて満足できないのが人間なのかもしれません。また、幸せそうな人が案外寂しい生活をしていたり、不幸のどん底にいるように見える人が、実はとても豊かな幸せの中にいるということもあるでしょう。
 私はどうかというと、私自身は幸せだと思っていますが、人から見ればある意味では不幸せだろうと思います。私が生まれて二十日後に母が病気で突然他界し、六年後、父も病気で亡くなり、両親ともいないからです。また私自身、先天性の心臓病で、生まれてから一年間は入退院をくり返し、ありとあらゆる病気を経験してきたからです。でも半年か一年の命と言われた私が、こうして元気に過ごしていることができるのは、私を育ててくれた祖父母の愛と多くの方々の支えがあったからで、私は恵まれていると思っています。
 もちろん、祖父母の苦労はなみではなかったことと思います。小学一年生の時、私は県内の病院で心臓の手術をし、手術の成功にホッとしたのもつかの間、今度は私がおたふくかぜにかかってしまい、他の入院患者に迷惑がかかると言われ、強制退院をさせられた時は、泣けてしかたがなかったと祖母は言います。まだ、手術の糸もぬいていない高熱の私を抱きながら、祖母は、なぜ自分や孫の私ばかり不幸がおそってくるのだろうと考えたのではないかと思います。
 でも、今の私は、年三回ほどの検査には行くものの、まったく皆と同じ生活ができています。両親がそろっている幸せの中にいて、「親がうるさい。」などという人の言葉に、両親のいない自分の寂しさを、まったく感じないと言ったら嘘になりますが、祖父母や叔母のいっぱいの愛を受けている自分を幸せだと思うことの方が多い毎日です。友達が、「部活が大変。」と愚痴を言うのも「健康だから部活動に参加できるのに」と思っています。当たり前のことを当たり前にできるのは、大変幸せなのだと知っているからです。
 私が小学校二年生の時、知り合った二歳年上の友人は、筋ジストロフィーで、車椅子の生活でした。プールが好きで、浮き輪に入り、お父さんに背中を押してもらって、楽しそうに笑っていました。私も一種になって遊びました。筋力が徐々に衰える病気ですから、今は大分病状が進んで、寝返りさえもできないそうです。でも明るく生きています。その人が友達の不平不満を聞いたら、「自由に動ける身体をもっていて、それ以上の幸せがあるか。」と言うに違いないでしょう。幸せの中にいると、その幸せに気付かないのかもしれません。
 先日、国語の先生から、野崎耕二さんという方の本を貸していただきました。それは、筋ジストロフィーの著者が、「一日一絵」─つまり一日に一枚の絵を描くことを目標に生きている命の著者でした。「一本の絵筆から~車椅子の四季~」と題されたこの本から、改めて本当に生きることのすばらしさが伝わってきました。日に日に衰えていく筋力と戦いながら、自分の生きた証を残されているこの方の日々は、やることも見つからず何となく生きている人のそれより、はるかに充実したものだろうと思います。そう考えると目標をもって精一杯生きている人は、五体満足であるないに関わらず幸せだと言えるのでしょう。
 こうしたことから、幸せは、人の心のあり方で違ってくるものであることがわかります。仙台の大学病院に医師として勤めていた父が、私を母方の祖父母に預けて仙台に戻り、無理がたたって病に倒れて逝ったとき、六歳なりに私は、死というものを「もう二度と会えないこと。」なのだと思いました。しかし、命を傾けられる仕事をもてた父は、幸せな人だったのではないかと、今は思うようになりました。母と父の命をもらい、あの世から母と父が見守ってくれているからこそ、私は生きていられるのだと思うと、とても温かな幸せな気持ちになります。祖母の干してくれたお日様のにおいのする布団に包まれて眠るとき、習い事で遅くなると必ず迎えに来てくれる祖母の笑顔を見るとき、宮崎の父方の祖母が私の成長に涙を流して喜んでくれるとき、私は、一日一日の一歩一歩の歩みができることを感謝して、私の命を精一杯生きようと思います。
 そして、今の自分の幸せを、これからの皆への幸せに少しでも役立てる生き方をしていきたいと思います。またそれが、新しい幸せの発見につながると信じています。






どうでしょうか。

感じるところは人それぞれかと思います。

私はこの文章を読んで、すぐに東日本大震災のことを考えました。

どう考えても、東北の方よりは幸せなはずなのに、

それでも自分は不幸なのではないかと考えてしまっています。

それは、明らかに自分より幸せな暮らしをしている人を知っているのかもしれません。

だからこそ幸せというのが見えていないのかもしれません。

しかし、幸せというのは人それぞれ違うものです。

今の私はテレビ東京が静岡で映れば幸せですね(笑)


あなたにとって幸せって何ですか?

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