2012年3月7日水曜日

私の意見

「放射能関連つぶやき」で続発する芸能人Twitter炎上騒動の行方

以前にも似たようなことを書いていますが、
改めて自分の考えをまとめる意味でも
この記事を書いています。


まず、私は竹山さんたむらさんは間違ってないと思います。

放射線量基準値オーバーの食材が売られてないのだから
別に悪くはないでしょ。
普通に考えれば、悪いという結論に至るわけがないです。

そして私は少し過激的な言い方になりますが、
放射線量をちょっとオーバーしていてもいいんじゃないかと考えています。

もちろん、基準値の100倍とか検出されれば話は別ですが、
少しオーバーしているだけなら別にいいと思うのです。

私はそのような食材もおいしく頂きますよ。
何故なら、捨てるのがもったいないからです。

食材だって必死に生きてきたのです。
震災を生き抜いた生物なんです。
それを人間の我が侭で殺されていいわけがありません。

我々日本人がいつも食事の前に行っている
「いただきます」
の意味が分かっていれば、
捨てるってなった時に心が痛んだはずです。

少し放射線量がオーバーしていて
それを食べたところで体が爆発するわけではないでしょ。
妊婦さんや赤ちゃん、小さい子どもの食べ物としては
少し神経質になる気持ちもわかりますが、
大人だったら食べても影響なんてありませんよ。
私の祖父がこんなことを言っていました。

 私たち老人は、(放射線量オーバーの野菜を)食べても
 全く影響はない。
 だから、捨てるのだったら老人ホームに送ってくれないかな。
 私たちは喜んでその野菜を食べるよ。
 何より捨てるのがもったいない。
 戦争を生き抜いてきた私たちからしたら、
 捨てるなんてことは考えられない。
 罰があたってしまう。

野菜を捨てるのだってたくさんのお金がかかります。
もちろん作るのにもお金がかかっています。
放射線量をわざわざ調べるのにもお金がかかっています。
こういうところからだって、お金はたくさん生まれるのです。

少し話が逸れますが、
AKBグループが○○億円寄付したとかというニュースがありました。
もちろんそのことは評価されるべきことです。
しかし、お金さえ寄付すればいいんでしょという感じもしなくはないのです。
確かにお金は足りていません。
しかし、お金があればいいという問題でもないのです。

「1人の1000円より1000人の1000円」

これは昔、近所の駄菓子屋のおじさんに教えてもらった言葉です。
おじさんはボランティア活動に積極的に取り組んでいて、
一緒にボランティア活動をしたときに教えてもらいました。

東北の食材を食べることで少しお金が生まれます。
それをたくさんの人が実行すれば、たくさんのお金が生まれます。
そのお金は金額以上の価値があるとは思いませんか?



もちろんこれまでの話は感情論です。
一言でいえば「もったいない精神を忘れるな」ということになります。

しかし、もちろんそれだけでは納得できない人もいるはずです。
そこで、ちょっと視点を変えてみます。

まず、基準値と安全性です。
数字を使うと説得力が増すとよく言いますが、
本当にそうですよね。
基準値の○○を下回っていますので安全です。
という言葉。
説得力があって安全性を証明するにはもってこいだとは思いますが、
そもそもこの基準値は誰がどうやって決めたものなんでしょうか。
私は専門家でないので何とも言えませんが、

国が誰からも文句が言われないように、決めた値ですよね。

本来は大丈夫なはずなのに、言いがかりをつけられると困るので
少し基準値を低めに設定したわけですよね。

それをオーバーしたところで全く問題のでは…。

更に言うと、オーバーしたから捨てる、ではなくて
オーバーしたやつをどうすれば安全に食べれるか
という考えをすべきではないのでしょうか。

例えば、茹でてみたら基準値より大きく下回った!
とかってならないのでしょうか。

結局は感情論になってしまうのですが、
・こうなっちゃった → じゃあ諦めよう
・こうなっちゃった → じゃあどうすればいいんだろう
どっちがいいですか?

最後に…
今問題としている放射線量よりもタバコの煙のほうがよっぽど有害です。

長文になってすみませんでした。

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