2011年11月11日金曜日

放射線量

この言葉に敏感に反応する人は多いのではないでしょうか


自分たちで身近な環境の放射線量を調べる人も少なくないはず


でもそれは意味あることなのでしょうか?

まぁここからはいろいろな意見が出てくるところではあると思うので

それは違うのではないかと思ったら是非コメントとかで議論してください


さて、意味あることなのでしょうか?と書いたわけですが、


私としては、今はそこではないだろということなのです。


周りがクリスマスなどで盛り上がっている地域で、

ごく一部のちょっと基準量を上回ったところなんてもんは

後回しでいいんじゃないですか?


放射線量を調べて、基準量より高いと分かったら、

当然その人は報告して、除去なりなんなりしてもらいますよね。

担当する人も信用が失われると困りますから、

すぐ対応しますよね。

でも、そのせいで本来すぐ対応しなければならない地域の対応が

遅れているのではないかということです。


東北が落ち着いてからようやく東京とかの放射線量の対応をするべきでは?

と思うのです。



そんなことを言うと、

東京の人(東京あたりで、放射線量が高いところがあるところに住んでいる人たち)は

「小さな子もいるんです。この子たちを犠牲にしてもいいんですか?」

などと反論するのだろうと思いますが、

じゃあ東北の人たちだけに負担をかけてもいいのか?

と思うのです。

東北にだって小さな子だっていますよね?

東北以外の放射線量が高いところなんてもんは

ごくわずかですよね?

ほんのちょっと移動するなどで対応できますよね。

けど東北の人たちはそういうわけにはいきません。

放射線量以前に普通の生活すらできていない人だってたくさんいるはずです。



なんか優先順位がおかしい気がしてならないんですね。

そしてそれは、自分さえよければいいという考えですよね。


瓦礫処理についても同じですよね。

放射線量がどうたらこうたらで受け入れ拒否とかほざいている人がいますが、

もっと協力していけよと思います。

ごく一部の反対勢力を恐れて受け入れ拒否している市長などもいるのでしょうけど、

「放射線量で何か体に異変がおきたら、私が責任をとる!!」

くらい言えない市長が、市の長を名乗っているのは

私としてはちょっと許せませんね。


最後にこの言葉を

『みんなが考えているより、ずっとたくさんの幸福が世の中にはあるのに、たいていの人は、それを見つけられない。』 by モーリス・メーテルリンク (ベルギーの詩人)

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